西便制宝城ソリ伝授館

毎年10月になると西便制・宝城ソリ祭りが西便制宝城ソリ伝授館をはじめて体育公園内で開催されている。 普段にはパンソリ及び宝城ソリを継承発展させるために西便制宝城パンソリ保存会で賃貸して使用しており、毎月4番目の木曜日には文化院主管で郡民のために無料で映画を上映している。
- 位置 : 宝城郡宝城邑龍門キル18
- 座席数 : 251
蔡東鮮音楽堂

蔡東鮮(チェ・ドンソン)先生は1901年筏橋邑世望洞で生れた韓国の作曲家でありバイオリン奏者として数回の独奏会と発表会をし、弦楽四重奏団を組織した。また、光復後に高麗音楽協会を組織し国立国楽院理事などを務めた。 暗鬱な日帝の圧迫でも朝鮮民族の精神を自分の作品の中に盛込んで民族の魂を燃やした民族音楽家として「望郷」、「花咲く春が来ると」、「故郷」などの名曲を残した。日帝時代に透徹した民族精神を気付かせた作曲家蔡東鮮(チェ・ドンソン)先生の崇高な人生と音楽世界を称えて照明するために蔡東鮮(チェ・ドンソン)音楽堂が会館された。1000㎡が越える面積に344席を備えた公演場と蔡東鮮(チェ・ドンソン)先生の遺品が展示された展示室と楽屋、出演者控え室、機械調整室などで構成されている。
用途 : 音楽会、映画上映、子供用ミュージカル公演、学生公演行事、各種教育及び行事など
郡立百民美術館

宝城郡立百民美術館は、大源寺に行く道に入って1㎞ほど離れた右側の山裾に位置している。この地域出身の西洋画家として国展審査委員をした具象画家百民・曺圭逸(チョ・ギュイル)画伯の作品と韓国内外の有名な画家の絵画作品など約350点の寄贈を受けて1993. 12.29.会館した。 美術館1階には曺圭逸(チョ・ギュイル)画伯室と東洋画室そして国際館があるが、東洋画室ではこの地域出身の書芸家の貴重な作品と朝鮮後期の作品が観覧できるし、国際館では北朝鮮功勲美術家の作品と帝政ロシア時代の木版聖画をはじめてロシアでも宝物級に知られた作品が展示されている。
2階の展示室は自然光で作品を鑑賞することができる。自然採光方式は有害光線を遮断し、明るい光だけ透過されるようにする技法としてパリのオルセー美術館と同一な方式だ。
- 位置 : 宝城郡文德面竹山キル 168-14
- 観覧料 : 無料
- 連絡先 : 061-853-0003
韓国茶博物館

天恵の茶園景観と隣接しており、お茶に対する豊富なコンテンツを展示している茶専門博物館だ。
- 1F - 茶文化室(Tea Culture Hall) - 茶の理解と茶と健康、世界の茶、宝城の茶産業の歴史を理解する空間
- 2F - 茶歴史室(Tea History Hall) - 近ㆍ現代に至るまで茶の足跡と時代別の遺物、茶文化の歴史を一目でわかる茶道具などを展示
- 3F - 茶生活室(Tea Life Hall) - 茶とともに礼を学ぶことができる茶文化体験空間
- 位置 : 宝城郡宝城邑緑茶路775
小説太白山脈文学館

趙廷來(チョ・ジョンネ)作家の生原稿をはじめて159件719点の資料が展示されており、屋外には李鍾祥(イ・ゾンサン)画伯の世界最大、最初の屋外乾式擁石壁画が位置している。
- 位置 : 宝城郡筏橋邑弘巌路 89-19
- 展示内容
- 小説に向けた準備と執筆
- 小説太白山脈の脱稿
- 小説太白山脈の出版
- 作家の生活と文学 [小説・太白山脈]
- 太白山脈文学館ホームページ: http://tbsm.boseong.go.kr
天然染色工芸館

天然染色工芸館は、伝統名物の大麻産業を活性化して自然の中の植物資源である染料を活用して韓国の趣を創出するために2010年5月に会館した。 直接栽培した大麻と染料を利用して衣類及び各種小品などを生産しており韓屋棟(作業室、デザイン室など),展示室と染色棟及び付帯施設で構成されている。
- 体験場所 : 宝城郡福內面ケギ路 1529-45 / 天然染色工芸館
- 体験テーマ : 天然染色関連教育と多様な体験
- 体験内容 : 大麻栽培、藍 · 紅花など染料栽培と麻布織造など
- お問い合わせ : 文化観光課 061-850-5203
伝統工芸文化商品

宝城郡の伝統工芸職人の作品を伝承し活性化するために住岩ダム建設によって廃校された(旧)ムンジョン小学校を工芸文化商品工房に竣工して会館した。 工芸伝統文化商品工房の1階は、甕器、真鍮、藍染作業場があり、2階は展示室と教育場が配置されている。
- 位置 : 宝城郡文德面コインドルキル22-51
- 体験活動 : 宝城「ドムボン粉靑鉢」、弥力甕器、伝統染色、小木工芸づくり体験
- 展示会 : 伝統工芸チョムラク展など
- 連絡先 : 011-637-4264
忠節祠

宝城郡兼白面出身の崔大晟(チェ・デソン)は、文禄・慶長の役の当時に訓鍊院正の身分で 乱が起きると李忠武公の幕下に入って捍後将になり南海の所々で勝捷を収めるのに大きい功を立てた。丁酉の再乱の時には官軍の瓦解で湖南一帯が塗炭に陥ると鄕兵数千を募集して光陽、順天、高興などの所々で約20回の接戦を繰広げて勝利を収める途中、宝城郡得粮面松谷里で敵軍の飛弾に打たれて戊戌6年8日に45歳で両目をむいたまま戦死した。 今も彼が亡くなった得粮面三亭里の三叉路を軍頭と命じており、彼の治績を称えるためにこちらに遺跡を復元した
位置 : 宝城郡得粮面忠義路 1651
宝城郡